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身体の記憶を解放してスッキリしました!

福田先生のボディートーク、2020年最後の締めくくりの福岡個人セッションが終了しました!

私の体験をシェアしておきたいと思います。



今回は、長年私を我慢して来たことを解決したいと思って個人セッションに臨みました。

家族の問題であり、家系の問題(先祖から受け継がれて来たこと)でもありました。
それは私の中で何度も向かい合い、相手となる母親とも何度となく話し合って来たことです。

高齢になった母は都合の悪いことは忘れていくという状態ですから、何度も話し合うのは本当に大変でした。
しかし、離れた土地へと引っ越すことになったからこそ、最後に母と話しをしなければならなかったし、私自身も解決しておきたいことでした。

悲しみや苦しみを十分に味わい尽くして、マインドではもうこれ以上繰り返しても追体験をしているしかないこと。

そして、私自身も一般的に言われるような
仲の良い親子や姉妹の関係性ではいられなくなって、さまざまなことに耐えて来ました。
「もう自分を解放してあげたい」という視点から、「後悔しないように、あとは何ができるだろうか?」ということをずっと考えて来ました。

母が姉の居る街へ引っ越しをするということは、今の状態では「最後のお別れ」になることも容易に想像がつくことです。

家族の在り方は、さまざまです。
一般的にどうであれ、他の家庭がどうであれ、うちにはうちの状況や関係性があるわけで、家族それぞれの思いと愛があるからこそ乗り越えなくてはならない〝家族の問題〟です。

誰に頼ることもできない、本人同士が乗り越えなくてはならないことですが
客観的に自分を観て、私は身体に残る、細胞で繋がっていることは自分ではどうしようもないと感じたのでボディートークの力を借りることにしました。



他人に迷惑をかけられないという県民性

先日知ったのですが、福岡は特に色濃い県民性の一つに
「他人に迷惑をかけられない」と大事なことに口を閉ざす傾向があるそうです。

これはコロナ禍の濃厚接触者をヒアリングする中で、福岡の人たちは口を割らないということだそうです。

「そうだね〜」と納得。
ましてや家族のことは悩んでいても口に出すのは難しい。

私もコンサルテーションを提供するセラピストとして、クライアントさんが急に口が重くなってしまうのを何度となく見て来ました。
気持ちもよくわかるので、雑談をしながらゆっくりと話してもらうように心がけています。

私自身もそうだからです。

母も、「私の教育が悪いって言われるから」と気にするたちです。


バウンダリー(個人の境界線)

「こうしろ、ああしろ、こういうもんだ」という中には
ご自分の考えを押し付けたり、相手の考えを否定してしまうこともありがちですが、バウンダリーという「本人が決めること」というのが無視されていることが多いですね。

その人が十分に考えて出した結論ですから、他人が踏み込んでどうこういうことは良くはないこととは分かっていても、親切心から口出しをすることも多々あります。

じゃあ好き勝手にして良いのか?という単純なことでもないのですけど
その人の考えが到った結論は、その人だけの領域です。
その境界線を超えて、否定してしまうとその人は自己価値すら持つことができなくなってしまいます。
尊重したいこと、それはバウンダリーです。
そしてそこには自分を導くという責任も伴うのです。



身体の記憶を解放し、あるべき流れへ

個人セッションの流れの中で、
ある程度は私の理解という私寄りの意見を最初に聞いてもらうことから始まりましたが、もちろん誤解されないように気をつけたこともありました。

でも、私の身体は分かっていたんです。
実際に母・姉・私の三角構造のことが。
この登場人物の誰が悪いとか、こうすべきなんだということは全くなくて
身体がうまく機能できない状態に陥っていることが次々に明らかになりました。

「この状態を何年も耐え続けてきた私って、、、強いですね」という言葉がポロッと出て来た時には、私の身体は「やっと分かってくれた?」という感じでした。
こういった自分に対しての受容の感覚も、初めてのこと!
私は「私が悪い、私が我慢しておけばいいんだ」と身を引いていたこともたくさんあったので、とても新鮮な感覚でした。

そして、胆嚢や腎臓との関わり、心臓(ハート)との繋がりを修復してもらって、セッションは終了!

「フォローアップの必要はないです。これで終わりです。」
この言葉を聞いた時は、とても嬉しかったです!

この問題に関して、私はもう悩まなくて良いんだ!と心から嬉しさが込み上げて来ました。

セッションが終わった後、
いつもなんですが、とにかく眠くなってぐっすりとソファで眠ってしまいました。

数時間して目覚めたら、あんなに重苦しい気持ちになっていた家族の問題が、スッキリしていて、軽やかな感覚を感じました。

そして、一晩眠って、目覚めた朝は、さらにスッキリ!
今日は母とお別れをする日でしたから、「最後に言わなきゃ」ってならない自分で居たいと思っていました。

どう感じて来たかなんて母にいう必要もないし、私もそんなことに囚われたくない!安心して引っ越しをして欲しいと思っていたので、姉も居る中で話しをすることに不安がありましたけど

私は私のスペースを大切にしつつ、母のスペースも大切にしつつ
お別れをすることができました。

母のちょっと無理だなと思う話も聞くことも出来たし、そこに娘としての思いやりの気持ちだけで過ごすこともできました。

産んでくれたことへの感謝の気持ちで接することができて、本当によかった!



家族であってもひとりの人間

誰かの犠牲になることはないし、たとえそれが家族であっても。
どうしようもないことも確かにありますが、何を選んで生きるかは自分自身の責任であると思います。

仲がいいとか悪いとか、そういうことでもなくって
親として、子供として、それぞれが思いやっている場合もあれば
思いやれていないこともあるわけで、中にはひどいことも世の中にはたくさんありますが、「受け入れた」時点で自分自身の選択だってことです。

世の中が、一人一人の人間のために変化をしているとだけは言えない
そんな時代に生まれて来たのも自分の選択です。

どのように生きて、何を体験するするかを決めてきたことをブループリントと言いますが、それをどのように全うするかも自分で決めることだと思います。

ミッションスクールを卒業したので、引用すると

あなたを愛するようにあなたの隣人を愛せよ

マタイによる福音書 22章

自分自身を愛することは難しいかもしれません。
そんな人が隣人を愛するって、どうやって?というのが私自身の感じて来たことでした。
「誰だって自分が可愛い」と言えるのは、自分を愛している人の言葉だよなって思っていました。
そもそも。。。「自分を愛する」ということが分からなかったのですから、それを学ぶためにも「自己犠牲」からスタートしたのではないかと私は考えていました。

自己犠牲の感覚の中に、バウンダリーを超えてしまうこともあるでしょう。
「あの人を困らせないために」というのもバウンダリーを超えてしまっています。
「迷惑」と思うかどうか?
ひょっとしたらどうでもいいと感じているかもしれない!
それは本人にしかわからないことだから、そこで自分の考えを言ってみて
相手の考えを聞く必要があるわけです。

一方的に自分がどう思ったというのを言うだけではなく
互いの考えを伝え合う。その上でベストを選ぶ。
天秤座的な行動ですが、これからの時代には必要でしょう。


ボディートークの関わり方

「親からもらったこの身体」
って言いますけど、本当にその通り!

そこをベースに、自分の人生で他人と関わり、社会と関わり、身につけてきた
唯一無二の自分の思考が生まれ、時には思考と身体が一致しないことも出てきます。(思考と身体は役割が違うからですね)

身体が記憶を保持しているからこそ、良いこともあれば
過去に囚われてしまうこともあります。

今の私にとっては、過去に囚われてしまった身体の機能不全をスムーズな流れにしてあげたい!ということでした。

それがボディートークで、解消できた!

本当によかったと、福田先生にも感謝です。


人生に悔いなし!

これは、数日前にこの世を去っていった生徒さんの言葉です。
この言葉が私の背中を押してくれたことの一つでもありました。

全力で何事にも望んできたので、私が最後の瞬間にこの言葉を言えるかどうかを考えたときに、「身体を解放してあげたい」という感情が湧き上がって来ました。

小さい時から、他人を疑わず受けれてきた自分自身を振り返ったり、
どうして今は他人がバウンダリーを超えてくることを警戒してしまうのか?と感じていたのは、私が乗り越えないといけない課題の一つだったと思ったから。

私が育てているのは犬ですが、先代犬も今の子も、最初から他人を疑わない天然なところがあります。
「子は親の鏡」と言いますが、きっと映し出してくれているのでしょう!

私も「親の鏡」であって、自分を好きになることは親を好きになることでもあるのかな?と思います。

愛犬はできているのに、私にはいつからかできなくなっていること。
そして、幼少期を思い出せば、スムーズにできていたこと。
いろんな重荷という服を着込んでしまった大人になって、素っ裸の自分は本質というものがあって、必要ない服を脱ぐこともやってもいい、と思えました。
重荷になっている古くなった服を脱ぐような感覚ですね。



余談ですが、母が見せてくれた小さなお人形がありました。
これは結婚前に、父と母がお揃いで買ったものだそうです。

よく見てみると、その小さなお人形は「パン」という名前がありました。
オーラソーマのイクイリブリアムボトルでは2019年に加わったボトルです。

まさかのパン登場にびっくりしましたが、よく読み返してみると

そして私たちが創造性を発揮できるように、また自分の思考やフィーリング、自分のビーイングを理解し、それらが自分自身の現実を形成するあり方の理解にいたるように。
ある意味では、これは私たち一人一人が、自分の内なる旅に責任を持つことを助けていくボトルだと私は感じています。その旅の中では投影や転移を超えていくでしょう。

Aura-Soma® Academy

心に染み込んできます。

これは、自分自身に向かう旅において、地球のビーイングが私たちを個人的にかつ集合的にサポートするために必要な長老たちによるアクティベーションです(活性化です)。

小さな時にこのお人形を見たことがありますが、すっかり忘れていたし
結婚前のラブラブなカップルが買うようなお人形かな?と思いましたが(笑)
・・・本当に笑っちゃいます!人生は仕組まれているね。

2020年、感謝の気持ちで締めくくれます。

本当にありがとうございました!

次回は、3月です。
日程も決まったので、早めに知りたい方はご連絡くださいね。
オンラインセッションも対応してくださるので、遠方の方もどうぞ〜。
私にできるサポートをしっかりさせていただきますね。