「私はこうしたい!」と自分の意思を主張すること。
「私はこんな人間なんだ!」と、自分の個性を言葉で伝えること。
このふたつ。
似ているようで、まったく違う。と思う。
人が誤解していたとしても、
人が認めてくれなかったと感じても、
人が決めてかかってると思えたとしても…。
どれも、自分自身の振る舞いや言動が積み上げてきた結果であることがほとんど。
「あの人はこんな人らしい」ってウワサをうのみにして、あなたを決めつけられたことは…論外ですけどね。
ウワサを信じた人の問題だから。
あなたが気にしなくてもいいんです。
自分で感じ、聞き、触れ合った結果
「あなたはこんな人」とラベルを貼られた場合は…その通りでしょう!
なぜなら、
それが、あなたが見せているあなたそのものなんだから。
「私のことをわかってくれていない」
と、思う前に
あなたは本当の気持ちや感情を伝えてきたのか?
考えてみたら…どうですか?
それでも、わかってもらえてませんか?
「本当のこと言ったら、嫌われる」
「なんと思われるか、気になる」
なんて、心の中ではつぶやいていないでしょうか?
言葉ほど、態度や振る舞いは隠せないものなんですよ!
「わかってもらえない」
そう思う時、あなた自身は…どうですか?
周りの人を分かろうとしていますか?
敬意をもって話しを聞いているでしょうか?
疑って話しを聞いていませんか?
「必要とされていない」
そう感じる時、あなたは誰かを必要だと素直に表現してますか?
どうせ、なんて気持ちが芽生えてませんか?
相手を必要としている人から感じることは、
あなたなんていなくても、他の人がいるから平気よ!
あなたなんかどうせ自分のことが可愛いんでしょ?
あなたのタイプには、こんなところがあるんだわ!
ある程度の行動理論を観察するのは、心理系のセラピストのお仕事ですから、
セラピストとして学び続けている人でない限り、そんなこと分析しなくていいんですよ。
だってね
その分析は、あなたの「影」である場合がほとんどです。
あなた自身が投影されていて
あなたは自分自身に不安と恐れを抱いているのではないですか?
よ〜く、出来事を振り返ってみたら
自分の嫌なところと似てませんか?
「ワタシ」という存在。
そこにスポットライトを当てて
影が大きく現れているだけ、なんです。
想像してみてください。
影ばかりを見ていたら、「ホントウ」「ホンモノ」の大きさや小ささを知ることが出来るでしょうか?
2012年の7月から、今に至るまで、
様々な事柄が変容しています。
それを信じようと信じまいと、
あなたの目てみて感じたことから判断してくれたらいいのですが、
「周りの人が変わってきてる」
「何か小さなことに執着しなくなってる人が増えた」
「前向きな人はどんどん変化してる」
「ポジティブとネガティブの差がはっきりしてきた」
「他人を批判する人たちと、そうでない人たちの境界線がハッキリしてきた」
なんて、発見したことをいう人たちが増えてますね。
私も、何度も目撃しました!
ネガティブさに執着してる人の重苦しい雰囲気が、際立ってるなと思いました。
たくさんのひとが、軽やかになって、
自分の中にある影の部分を、批判なく受け止めて、
それをどうしようか?と考えてるところだって言う人と話すことが増えました。
ハッキリクッキリです!
自分自身を幸せにする価値観が
輝きと出るか!?
重苦しさと出るか!?
どちらも、あなたが選択していいことだと思います。
私が考えているのは、
この世に産まれてきた時から
私に「必要なことが与えられている」
ということ。
それが、楽しいことであっても
大変だな〜と思うことであっても
「全てが最善」なんです。
「なんとかなるさ〜♪」
と、言えるようになったのは
人生を信頼出来るようになったからかな。
「なるようにしかならない」んだもの。
何も、人も、出来事も、
私にはコントロールなんて出来ない。
しかし、
ワタシにとって必要な経験しか起こらない。
大きかった影が、ホントウを映し出すようになりました。