18際のとき、白無垢姿で初めて会った人と65年連れ添った人。
私の叔母です。
田舎の長男の嫁に来て、本家の嫁として生き続けた叔母の49日法要でした。
7日、7日、の法要を終え。
とうとうお別れです。
私の父が小学生の時に、大阪から戻った叔父は、それからずーっと…舅、姑、兄弟たち、時代を越えて私たちを支えてくれました。
叔父は厳しく、まさに威厳的。
兄弟たちを育て、破天荒な祖父、厳しい祖母を支えて来ました。
今日は叔父の背中が小さく見えた。
「先に帰るね」「おう!おう!」と言いながら、背を向けたまま握った手を放した指先が淋しさを伝えていました。
見えっ張りで、税理士らしくお金の計算が早く、叔母には威張りちらしていた叔父を「お父さんは優しかもんね〜」と無邪気に笑う叔母の立てる姿勢と笑い声に、何度も「すごいひとだな」と思っていました。
親族の中で唯一叔父に意見する私を、にこにこ見ていた叔母。
…思い出は尽きません。
今日の49日法要は、本当に最後の別れになります。
叔父がポケットから出したのは、叔母の写真を使って作ったキーホルダー。
「これやったら、いつも一緒におるごたあやろ?」
叔父は、照れたような寂しい笑顔を見せてくれました。
叔母の長い苦労の日々も、これが一番の愛の証なんだと思いました。
いまみたいに簡単に離婚は出来ない時代の人です。
だからこそ、乗り越えてこれたのでしょうね。
最後に会った叔母は、叔父に叱られながらも、にこにこ笑って幸せそうでした。
叔父のぶっきらぼうながらも思いやりの言葉が嬉しかったのでしょう。
入院をしたあとは、叔父の作るのり巻きだけは食べれていたようだし、「家に帰って、お父さんにご飯を作りたい」と言い続けていたそうです。
これが65年の重みなんですね。
私はもうこれからじゃ65年も寄り添えないけど、あんなふうに互いを必要とするパートナーと巡り会いたいし、
これから結婚を考えているひとには、なんだかんだも乗り越えてほしいと思います。
たぶん…一番の味方になってくれた叔父。
どんなことがあっても、立てて着いて行った叔母。
65年のキーホルダーなんですね。
いつまでも、私の心には叔母の笑顔が生き続けます。