言葉にする気力がわかない日々でした。
B10:行って木を抱きなさい
このボトルは今年のイヤーズボトルですが…
ちょうど使い終わるあたりから、外に向かって表現する
そんなことを「したくない」って思ったんです。
はて?私は、自分自身の声を聴く時間を持てたのだろうか?
御正月休みも取ったけど…ちゃんと休んでいなかった気がする。
外よりも、内側に向かうことの大切さを学んだ数日間だったようだ。
何をする?何をしたい?
その思いにばかり気を取られて。。。
経験だ!とばかりにひた走りに走って。。。
このボトルを使ううちに、「私自身」に起った出来事、というより
気がついた出来事は、とってもレッドな部分だった。
グラウンディングをすることの基本となるのは家族なのよね~。
昨年末から、家族の問題が浮上してきていて、
そこに向かい合わねば
ならないことを痛感!
しかし、これは私一人で解決できることでもなく、また相手には
準備の出来ていないこと。
もうしばらく、時を待つことが必要のようだ。
私の中のレッドのある側面では、
「許す」ということが浮き上がってきた。
まだ面と向かうことは出来ることはないけれど、
焦らず、ただ心の中で
許すこと(これは状況を許すということですね)。
それだけしかできない。
レッドってなんだろう?、家族って何だろう?血筋って何だろう?
愛って何だろう?基盤って何だろう?私の基本って何だろう?
・・・と思っていたら、伺ったお宅で用意してくれていたハートのプリン。
まさに 、レッドの象徴でした。
甘くって、元気エネルギーが一杯で。
下の方まですくって食べてたら、ちょっと甘過ぎて、
でも食べ終わると笑顔になる。
自分自身を信頼することは、きっと家族との関係の中で育つような気がする。
大人になって、自分の力で生きるようになったら、教わったことではなく、自分の選択で生きることが出来る。
もし、足りないものがあるなら・・・それは自分で与えることができるんじゃないだろうか?
例えば、愛を与えてくれるパートナーや友人を、自分に与えるということが出来るように。
家族は、安らぎの場であり、戦いの場でもあるように思う。
同じ価値観を持った同士だけど、まったく同じでもない。
過ごした他人との関わり方や、社会とのかかわり方で、やっぱり別の個人なんだ。
「人間」って「ひとのあいだ」って書くもんね。
その間にあるものは何だろうね?
小さな自分自身の声を、聴くことは、たやすくはないと思うの。
意識を向けて、聞こうじゃないのって思って聴くことで、やっとスムーズにコミュニケーションが取れるようになるんだと思う。
ここ数日は、とっても長い時間を過ごせた。
朝が来て、夜が来て・・・おなじ24時間なんだけど、充実してたなって思う。
少しの時間が長く感じれたから、たくさんの感覚を得られた。
巣ごもりして、暖めたのは・・・「私の存在」だったみたい
いま必要なこと、必要なもの、それが見えてきたから、明日はきっと笑顔で居られる!
たくさん町を歩いて、街を感じて、街にある輝きを発見しよう~っと。