今日はご質問を頂きました。何かのヒントになればと思って、オレンジとコーラルの違いについて、探究をしていきます
B26ハンプティダンプティ/エーテルレスキュー
キーワード:過去からの解放と自立、深い洞察
「ばらばらになったものを一つにする」
このオレンジ色は夕日のような濃い色です。
今生や過去世での出来事も含んでいる「経験を記録するサトルボディー」のエーテル体に働きかけてくれるボトルです。
トラウマやショックな出来事が起こった時に、左の肋骨の下と骨盤の間にずれが生じ、「エーテルギャップ」を作ります。
それは、「わぁ~、それショックぅ」なんて言っているような簡単な出来事や「あんまり言われるとトラウマになるよね」なんて言ってるような面白可笑しいことではなくて、『もうそのことには触れたくない』と口を閉ざしてしまうような出来事がショックなことであり、『また同じことになるかもしれない』と恐れてしまうことがトラウマです。
人は自分が耐えられない、あるいは怖くて心がくだけそうだと思った時に、「封印」してしまうことで危険を回避することが出来ます。
その「回避行動」を取っているときに出来るのがエーテルギャップ。
この回避行動には、レベルの違いがあります。
「そのくらい平気よ」と誰かは言うかもしれませんが、本人にとっては、身動き取れにくくなるほどの出来事だったりするのです。
ここで、ポイントになるのは、【責任の所在がない】ということ。
「だれを恨んだらいいのかわからない」というセリフをドラマなんかで聞いたことがありませんか?
対象人物や対象物があれば、それを排除すればいいのですが、オレンジの指す「ショックやトラウマ」は対象人物がありません。
「出来事」として深く刻み込まれるのです。それが人物の場合もあります。ひどいことをした御本人が対象というわけではなく、似た雰囲気の人物、性別、身なりの場合です。
記憶に残るのです。
音楽の場合もあるかもしれません。
香りの場合もあるかもしれません。
【そのできごと】を彷彿とさせるもの全てが、記憶を蘇らせるきっかけとなる場合があります。
「回避行動」を取ったということは、その出来事が自分自身を守らねばならないという出来事に直面したわけですから、「時間を止めた」ということなのではないでしょうか。
息を止めた瞬間・・・これは、びっくりしたり驚いたりしたときに誰もが取ったことのある行動ですね。
記憶を止めた瞬間があるわけです。
オレンジには、その「止めた時間」をゆるやかに優しく解きほぐしてくれます。
背中をなでられながら、「もう大丈夫だよ」、「よく思い出してご覧、いまならわかるよね」と優しく納得させてくれるような役割を持っています。
背後にブルーがあるのもこういったことからわかりますよね。
この「止まった時間」は・・・ご本人の勘違いということもあります。
それは、目の前で起こったことが、交差してしまっていて、脳が記憶をしたのです。
「こういう状況においては記憶を消さねばならない!」と。
しかし、人間は優れた脳の役割があって、「観ている」のです。
視覚的なタイプの方はよくあると思うのですが、「意識はしていなかったけど…そういえばあったなぁ。」と見ている世界(視覚に入るもの全てを観ていたのです。
だから、ゆっくりと背中をなでられながら「よーく思い出してごらん。他にも何かあったんじゃない?本当にそうだったかな」と言われると、思いだすわけです。
そこで起こった真実を。
それが、タイムラインのヒーリングなわけです。
(左)B87愛の叡智
キーワード: 深い洞察と知恵で、愛に目覚める
(右)B105大天使アズラエル
キーワード:新しい時代の人として、目覚め輝く
どちらもコーラルです。
第一チャクラと第二チャクラの間にある色になります。
この色はペールコーラル、コーラルですね。
場所としては、下腹部にあたりますので、身体と連動して考えると、消化吸収したものをもう一度必要かどうかをより分ける作業をしていると言えます。
まだ残っている必要な物があると考えてもいいかもしれませんし、もう充分に吸収したものなのに、まだまだ!あるかもしれない!と執着しているのかもしれません。
ここでのポイントは【対象としてるものがはっきりとしている】ということです。
あの人のせいで…、あんなことをもう二度と言われたくないとかの対象がハッキリしているわけです。
きっと、そのことでいたく傷ついたのでしょう。
私の存在が必要ないのか?迷惑なのか?というように(ちょっとキツイ言い方に聞こえるかもしれませんが・・・)、「私」という存在や経験を否定されたように感じるのかもしれません。
ここに背後のターコイズが関わっているわけですね。
コーラルという色は、先ほども書いたように、執着していることがあるはずです。
それは、「私」を否定された時に、なぜそうなったのか?を考えた人にとっては、「自分が自分の存在を否定した」ということも含まれます。
だから、コーラルが背中をなでながら寄り添って、「ほんとうにそんなに傷ついたままでいること?」とか、「違う見方も出来るんじゃないの?」と優しく問いかけてくれたら・・・涙をぬぐいながら自分自身を許せるということもあるわけです。
自分自身や対象者を含めて、許すことが出来たということが、【手放し Letgo】になるわけです。
ため込んでしまう人は、感情も愛情も、出来事も何もかもをため込んでしまいます。
初めのうちは、それでいいのですが…いつか時間とともに忘れてしまって、なぜため込んだのか?がわからなくなってしまうこともあります。
理由もなく…と本人は思っていて、「どうやって手放したらいいのかわかりません」ということがあります。
怒りの感情を口にすることをいけないと思っている場合は、とくに顕著にためこんでしまいます。
「かたづけよう」と思っていても、かたづけられずに日が経ってしまって、本当に必要なものかわからないけど、わからないからそのまま置いておこうってことに例えられますね。
「いつか使うかもしれないから」ってことです。
これは、ますますため込んでしまいます。
「どうやって?」といっている時点で、必要ない感情だと認めることもいいと思いますし、「なぜあの時にそう思ったのか?」を包み隠さず心の中で理解することも解決の方法になります。
これも、タイムラインのヒーリング。
オレンジと、コーラルは似ています。
もっと、もっと、説明したいことはあるのですが、続きは次回に
ひとつ!
例えばよくトラウマになっていることの例として挙げると…
「セックスはきらいだ」ということがあります。
これは、5歳くらいの小さなころに、両親のセックスを見てしまって、意味はわかっていなくても、行為がどうも荒々しく感じたり、いけないものに感じたりしているということがあります。
大人になって…そのトラウマがある場合に、「セックスを嫌う」傾向にあるか、「異性を嫌う」傾向があります。
人によって違う反応ですが…男性(女性)を嫌う。さげすむ。打ち負かしたい。従順にふるまう。脅威に感じる。etc…。
そう思っていても、セックスは種の保存として組み込まれた動物の本能です。
あるいは、愛のエネルギー交換ですよね。
夫婦間にセックスがなければ離婚が認められるくらいに大切なことです。
幼少期の経験が浅い中で思ったことは、大人になって「そうじゃない」に置き換わって理解していても、ただ「いけないことだ」というラベルだけが残ってしまって、原因も理解も存在していないこともあります。
それらを、癒すことは必要です。
それがタイムラインのヒーリングです。
人によっては、オレンジもコーラルもとって好きと言う方もいれば
苦しくなった、いろんなことが起こって嫌になった・・・などの否定的感情が、どど~んと乗っかってくる場合があります。
それんなときは、ジャッジせず
オレンジ的なことなのか?
コーラル的なことなのか?
その理解をまずすることから始まると思います。
どちらも「愛」の経験です。
愛は、たくさんの経験を与えてくれます。
その経験が人生を豊かにし、人生を探す人の答えになります。
自分に起ったことを、ありのままに、
自分を否定したり、誰かを否定したりせず、
「なるほど」と理解したらいいのではないでしょうか?
(これは、ピンクですね)
人生は、パズルをばらばらにして、ピースをひとつずつはめていく作業のように思います。
描くものはもう始めからあるんだけど、ばらばらにして、完成を目指すことが楽しかったと思うのではないかな~。
愛というエッセンスの質を、どのように捉え、活かすかはあなたが選んでいることだと言えるかな。
長い長いところ、読んでくださってありがとうございました
みなさんのシェア―もぜひ!お聞きしたいと思います。
反対意見もよろこんで伺います。
一緒に探究いたしましょうね~。
コメントしてくださると、読んでくださっている方の理解にもなるので、ぜひよろしくお願いします