“縁”のあるひと…たとえば、トモダチ。家族。
昔、ひとつの石だったのかと思う。
あるとき、パンっと割れて地上に落ちて来た。
割れたところをぴったりと合わせれば元に戻せるけど
ひとつの“石”にはなれない。
割れたところは、尖っていて
どこかでずっと「もういちどひとつに戻りたい」と思い続けるのかもしれない。
時が流れ、尖っていたところはまぁるく研磨されて
割れた相手とは戻れない形にかわる。
それでも…「ひとつに戻りたい」という思いは身体の細胞のなかに残っていて、「なんとか戻ろう」とするのかもしれない。
研磨されて形が変わった今、ぴったりと合う形(人)がある。
「戻りたい」という“石”と「ぴったりと合う」という”心地よさ”と。
研磨されて形が変わったというのに、
「むかしはピッタリだった」という記憶が、過去へと引き戻そうとするのかもしれない。
人は時間とともに、必ず変化する。
変化したのに、変わらないと言い続ける。
変わらないで!と片方は言う。
まぁるく研磨されて、形が変わってしまっても
それを受け入れてくれる人と
これからも変化し続ける“意思”を合わせられる人と
ふたたび「ひとつに」なれたらいいよね。
そうしたら、新しい形の大きな”石”になるだろう。
心地よさと、思いやりと、正直さで
ちゃんと向かい合える、ひとつになれる “ I S H I ”
そして、大きな “ I S H I ”になって、
いつか帰ろう。