2022年が明けて、もう20日!
今年もあっという間に過ぎちゃうのかな?
「また今度〜」は今年もやめておきたいと思います。
興味があること、やってみたいこと、感じてみたいこと、体験したいこと、会いたい人、みたい景色
決して時間の中に見送ってしまわないように。
〝また今度〟は来ないのですから。
このお花は、母の百箇日法要でお墓に備えたものです。
2021年の12月8日でした。
ちょっと忙しくしていたので、2週間ほどしてお花を片付けに行ったのですが
なんと綺麗に咲いていました。
冷たい外気に晒されていたので花びらの端っこは痛んでいましたが、まだまだ綺麗に咲いていたのです。
母が喜んでくれていたのかな?と思って、そのままリビングに飾ったのですが
何となく玄関において置きたくて、玄関に飾っていました。
2022年1月20日、最後の1輪がこんな状態です。
年を越しただけでもびっくりなんですけど!何とかまだ咲いています。
母は私が幼稚園の時に大学にて勉強を始めて、資格を取得して仕事を始めました。
元々、商売屋の家庭に育ったので自然な欲求だったのでしょう。
その後、父の後押しもあり天神で喫茶店を2店舗。
とても頑張っていました。
その代わりに、私は〝鍵っ子〟でした。
現代では考えられないでしょうけど、小学校の登下校はひとりでしたし、放課後帰宅しても母が帰ってくる夜までひとりでした。
食事の準備をしてくれていることもあれば、忙しくなってからは家事をしてくれるお手伝いさんがしばらくは居てくれました。
私たちが好きそうな夕食をお願いしていってくれていたのですが、年配のその女性は
スパゲッティやハンバーグが作れなくて、幼稚園の頃に自分の食べたいものを作って食べた記憶があります。
台所は大変なことになっていましたが、母は黙って私の作ったご飯を食べて片付けをしてくれていました。
母も父も、決していい親ではありませんでした。
でも、今の私に必要な後ろ姿を見せてくれていたと思います。
それは心から感謝しています。
私が思春期になる頃に、母は店を辞めて家庭に入りましたが
ボランティアや趣味のコーラスに勤しむようになりました。
学校から帰ってきて、いつもひとりだった私は
「おかえり」と言われた記憶がほとんどありません。
「ただいま」ともあまり言ったことがありません。
母はそういう関係を取り戻したかったようですが、思春期ですもの〜
突然母が自宅にいるようになって、楽しいはずがありません(笑)
ギクシャクするようになって、あんまり口も聞かなかった気もします。
それで「時間が勿体無い」と言ってたなと思うのですが
ボランティアを始めたわけです。
寂しいと思うこともあったかもしれませんが
私はマイペースだったので静かな家に帰る方が良かったのです。
おかえり!
あたり前の事かもしれませんが、私たち親子にはあまり交わされたことがない言葉。
この咲きつづける花を見て、思いました。
母が精一杯の笑顔で、言ってる気がしました。
だから私も、この花に向かって、帰宅したらいつも言っていました。
ただいま!
ちょっぴり気恥ずかしさもありましたが、嬉しくもありました。
母はこれでホッとしたのかもしれません。
でも名残惜しそうに、もう少し、あと少しと咲き続けてくれたように思います。