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10年目の311

もしも、10年前の3月11日にタイムトリップできたなら、「この日は朝から崖の上に居てください」と伝えたい。
だけど、きっと誰も聞いてはくれないだろう。

当然だ。だってあんなことが起こるなんて。。。

10年前の11日に、私はテレビを見ていた。
そして画面に釘付けになった!
「何これ?映画?」
現実と受け止められない映像が映し出されていたから。

混乱したまま、友人に電話をしたことを覚えている。

遠く離れた土地で起こったことだったから、私にできることは、オーラソーマの仲間たちを心配することしか出来ない。
私の住む九州では情報も少ない。

当時はTwitterを利用している人が多くて、Facebookは海外の方々ばかり。
しかし、お互いに情報を共有する必要性を感じて、使い方も手探りのFacebookに人を集めることから始めた。

兵庫県に住む友人のかなや さなえちゃんと、Facebookの使い方を模索し、新たに加わってくれた人たちをサポートするために交代で24時間サイトを開き続けていた。

私たちオーラソーマをしている人たちにとって、ボトルはとても大切なもの。
それが地震で割れてしまったり、津波に流された人たちも居た。

その人たちの気持ちを支えたい一心で、色が変色したアルケミーボトルを送ったり、支え合えるグループを作って交流できるようになった。

少し時間が経ち、物流も動き始めた頃、

現地に住む人たちの中には、避難所にボランティアに行ってボトルでハンドマッサージを行ったり、ポマンダーを使ったりし始めるようになった。

災害のあと、オーラソーマを知らない避難されている人たち、見知らぬ人たちに声をかけることはとても勇気のいることだ。

ご自分たちも恐ろしい思いをしたことは間違いないのに、何かに突き動かされるように、避難所に向かう仲間たち。

私たちは応援することしかできない。
足りなくなったボトルや、手持ちのポマンダーを送ることしかできなかった。

そうしている間に、オーラソーマのアカデミーから世界に向けて寄付の呼びかけの動きがあり、世界各地のオーラソーマファミリーから集めた金額と同額をアカデミーが出してくれて、オーラソーマプロダクツが日本に送られてきた。

ポケットレスキュー、ポマンダー、シーウィードミネラルバス、ティシューソルト。

日本ではこれらを受け入れて、必要な人に送ってくれるところがないとアカデミーから連絡があったので私とさなえちゃんとで預かることにした。

それから送って欲しいと申し出てくださった方に送りはじめたが、送料がかかる。
場所的にも日数がかかる。
「関東から発送してくれたら早く届けられるのに。でも送料負担になっちゃうから頼みにくいね」そんなやりとりをFacebookでしていたら、大野 有希ちゃんが快く「私でよかったら預かりますよ」と声を上げてくれた。

しばらくしたら、「着払いで送ってください」と言ってくださる方も増えて助かった。

時間と共に落ち着きを取り戻したけれど、
あの日のショックはそう簡単に癒えるものでもない。

多くの人たちの気持ちを支えたくて、それぞれが想いを寄せ合うことができればと、さなえちゃんと相談して、
毎月11日に、光を贈る瞑想を始めることにした。

それが、「リメンバー・メディテーション」
レベル2の新しくなったテキストに書かれていたRe member」という言葉が印象的だったことから付けたのだ。

「り・めんばー」

この言葉を呟いて、それぞれのいる場所で祈りと共に光を贈るというものだ。

少しずつ人も増えて、日本全国各地のオーラソーマファミリーが参加表明をしてくれたり、友人と集まって行ってくれたり。

今だったら、インスタライブやFacebook Liveで出来るかも知れないけど、当時はそんなのが無くって。

だけど、確実に私たちは繋がって祈りの時間を持つことができた!
それぞれの光を届けることが出来ていたと思う。

その後、マイク学長の来日されるコースの中でも瞑想をお願いすることができた!

東京でのコース後にみんなで残って瞑想もできた!
当時のクリスタルマスターのオーガナイズをされていたリバアートの川島 弘子さんも快く会場を貸してくださって。
時間延長になるにも関わらず、リバのスタッフの皆さんも力強くサポートしてくださった!

本当に様々な人たちが、自分の出来ることを差し出し慈愛に満ちた関わりを繋ぐことをしてくれた。

もっともっとここには書ききれない人たちが関わってくれていた。会ったこともない人たちの方が多かったかも知れないのに。

そして、命を落とした仲間がいたことも私は決して忘れない。

世界のオーラソーマの仲間たちが助けてくれた。
日本中の仲間たちが協力し合っていた。

放射能を心配して海外の商社の人たちが祖国に帰る中、アカデミーのマイク学長は春の日本のコースを変更せずに来日してくれた。
「皆の役に立つなら」と。

オーラソーマを通して私たちは繋がっている。
例え、オーラソーマから離れてしまったとしても、私たちは繋がっていたことは間違いないと思う。

随分後になってから、私はオーラソーマの日本校の2代目の代表に就任した。
そのとき、登録されていた方々にメールをお送りするときに「オーラソーマ・ファミリーの皆さんへ」と一行目に書いた。
「どうしてファミリーなの?』と聞かれたが、
私は、「好きなものを愛する家族だから」と答えた。
その想いには、この311での「つながり」があったからである。
毎回メールを書くたびに、この一行目に感謝をしながら文字を打った。

当時にはまだ学んでいなかった人も増えていたが、受け継がれてきた「つながり」は、まぎれもなく真実だからだ。

そして、その愛と思いやりと勇気は
これからも私たちの心の中に根づき伝わり続けるだろうと思う。

振り返れば、この東日本大震災からの10年はとても深い年月だったと思う。

個人的には辛い思いも苦しみのどん底も味わったけど、
オーラソーマ・ファミリーの皆さんと共に過ごせた深い深い10年だった。

今もなお、終わっていない東日本大震災の傷跡が早く癒えることを心から願っている。

日本の全ての人が、世界の全ての人が、安心して暮らせる日常になることを願っている。

尊敬するオーラソーマ・ファミリーの皆さんに
心からの愛と感謝を込めて。

翌年、名古屋でのカンファレンスでみんなの寄せ書きTシャツを着てくれた
マイク学長(まだふくよかな頃ですね)