「恐れ」はどこからやってくるのか?
・ひどい人だと思われたらいやだ
・なぜこんなことも出来ないんだ?
・まだやっていなかったの?
・バカだよね
・こんなことも知らないの?
こういうことを言われるのって、誰でも嫌ですよね。
これって。。。「自分が駄目な人間なんだって」ことが前提になっていない?
「恐れ」って、「自分を非難すること」じゃないかな?
私たちって、小さなときから「こうするのが正しい」ということを
しつけられているから、正しいというボーダーラインがあって
それを下回ること=駄目 になっていませんか?
正しいボーダーライン
その上にあることは、学校に通うようになって、大人になるにつれて、
何度も何度も、
「これは正しいけど、これは正しくない」ってピースを集めて
「いいひと」像を作ってきたから、そのボーダーラインより下回ることを
「悪いこと、ひどい人」というのを ○ と × で決めてきたんだよね。
何千、何万という「事例」があって、それに当てはまらないことを
「だめ!」
駄目なことをしようとしている自分を、非難(ジャッジ)してるんだということ。
正しい形を決めているから、その形から離れるようなことを考えたり、
行動に移そうとしていると、頭の中で「ぶー!ぶー!」とアラームが鳴る。
本当にそれは駄目なの?
思い切って、ひどい人になってみたらどう?
というと、ものすごく固くなって、ギリギリの状態で、『私は。。。」と
発言するから、よけいに。。。それはキツくて怖い言葉になる。
あなたが、「すき」「きらい」「まぁまぁ」で自分の考えを
客観的に見ることが出来たら
どんな風に思うだろう?
それを行うことが「本当に?」「いけないことなの?」と
問いかけると、
「ひどいってことはないんですけどぉ〜」って、前置きをして
言い訳してしまうことじゃないだろうか?
時代は、刻一刻と変わる。
○ と × だけじゃわけられないことも、どんどん増えてくる。
新しい事例を、多くの人と関わることで、「知る」ことも増える。
だけど、自分の過去の経験に基づいたことだけを基準に、
「正しい」「まちがっている」にわけてしまう。。。これ、よくあることだね。
「あなたが本当に思ったことを言ってみて!」
そういわれたら、正直に応えなくちゃって思うから、やっと!やっと!
本音が言葉になって溢れてくる。
「恐れ』は「ジャッジ」であり、
他の誰も思っていなくても、「自分の人生の中で経験したこと」を基準に
作り出していることだったりする!
「恐れ」はそこに存在しているわけではない。
「恐れ」は、自分自身の中で作り上げられた、独自のストーリー。
独自の方程式なのだ。
「恐れ」の仕組みは、実は、あなたの中で作られた架空のストーリー。
思い過ごしの場合が多いということを、これも覚えておくといいかな。
脳の仕組みは、実に巧妙で、ときどき罠を仕掛けている。
「過去を乗り越えてみない?」そんな脳からのメッセージが
『恐れ』を手放すチャンスだということを、ぜひ覚えていてほしいね。
あなたにとって、本音ってなんですか?
本当に必要ですか?
「恐怖」という脳からのトラップを仕掛けられたときは、
この問いかけを自分にすることを、ちょっと思い出してほしい!