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手放しボトルのB26は、半分使いました!

台風8号が、九州上陸!?

警戒警報も出ていましたが、夕べからそんな気配もなく…。

博多祇園山笠も、飾りを下ろすという警報ぶり。
月曜日の追い山は、頑張って欲しいものです。

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手放しボトルの第二レベル。
ハンプティダプティを使っています。

今年は、ずいぶんと大切な人を見送りました。
そして、16年前にうちの子になった愛犬も、先日、旅立ちました。

2014年6月30日。

いづれは、こんな別れは来るものです。
それでも、やはり悲しい。
毎日、愛犬の食事の時間になったり、
外犬だったので、
暑いとか、雨降りとか…いろんなことを気にかけていました。
そのシチュエーションのたびに、
「不在」を感じて、さみしくなります。

数年前に旅立った猫ちゃん。
私はいまだにドアを完全に締めることがなくて、必ずドアを5cmほど開けてしまうし、ドアをバタンと閉めることが出来ません。
それは、猫ちゃんが、足元にいるかも知れないから。
ドアを締め切ったら、入れなくて鳴き続けるから。
うちの猫ちゃんは、23歳で旅立ちましたから、身についた私のクセなのです。

思考ではなく、
身体が自動応答してしまうのがクセ(習慣)ですよね。

自分では、意識していないことだから、
「何を手放す?」と言われても…。

それが、わからないのです。

幼少期から、親や学校で教育されてきたこと、長年の習慣、日本人としての考え方、土地柄…。

こういったことが、私たちの生き方や目覚めの妨げになっているから、

それを手放しましょう!

…そう言われたって、わからないものです。

海外に行って、
調理の仕方や、習慣や、考え方の違いがあることに気がついて

『へぇ〜』と驚くこと、あるでしょう?

「日本人は、感情を出さないから、わからない。」
と言われることがありますが、
「外人さんは騒ぎすぎだよ」
と思うこともあります。

どこを基準にするかは、その人の選択です。

それでも…

自分自身を苦しめている考え方については、「苦しむ」という時点で、必要ないもの。

それが条件付けのパターンであり、
繰り返してしまうことなのです。

が!
そういうパターンこそ、手放しにくいもの。

本人は、気がついてないことが多いからです。

だいたいにおいて、
そのパターンこそが、危険回避だったり、誰かが助けてくれたという成功例だからです。

これは、体験に基づく、脳の機能ですから、「思考」とは切り離されている分野なのです。

イクイリブリアムボトルは、肉体に作用するので、
思考ではない、経験の記録に働きかけるのです。

いくら、
理解した!わかった!そう考えるようにする!
と、「思考」が決意しても、
そことは「経験の記録」は別。

だから、「またやっちゃったー」となるわけです。

手放しには、
7つのレベルがあるというのが、オーラソーマの見解。

その中の第二レベルに対応するのが、B26のハンプティダプティです。
別名 エーテルレスキュー。

私はこのボトルを何度も使っています。
使うたびに、作用している「経験の記録」は違うなと感じます。

ちょうど、今年の7月は…
私の信じてきたもの、人生に関わることに大きな変容が訪れています。

振り返れば、
「私は自分自身を幸せにする!」と、決心したときから、始まっていました。

日本人である私自身の考え方を否定されたり、何も説明がなかったり、
わからない!!と言うことが続いて、
自分自身の存在価値すら…否定されたように感じること。

それすらも、間違っているのか!?
と思わずにはいられない、霧の中を歩くような感じでした。

愛犬の存在は、ある意味、
私を「ここ」にとどめておくものでもありました。

愛犬の存在が無くなって、
私は「ここ」に留まる必要もなくなり、
私は自由に選べるようになったように感じます。だって、これからは常な一緒に居てくれるようになったから。

「私は私自身をしあわせにする」ために、ある悩みからも解放されます。

そういうことが、この7月に一気に変化していきます。

人生には、必要なことが用意されていて
それは時がきたら解決するもの。

穏やかな気持ちになるまでには、
多くの時間が必要でしたが、
私の「手放しのステップ」は、すでに始まっていて、
穏やかに手放す流れがやって来ています。

イクイリブリアムボトルを使いながら
自然と起こる「手放し」。

人生には必要なものしかない!

そう思えるようになったのは、
「経験の記録」が役目を終えて行くからでしょう。

ジャッジする必要もなく
何度も記録する必要もなく
言葉にする必要もなく

『ただ去る』のを見守ればいいのだろうと、思うようになりました。

ハンプティダプティは、二度と戻すことは出来ない位に、バラバラになりました。

パーツをあつめて、それがどんな形だったのかを見ることは出来ても、
それは過去のものです。

新しくやってくる未来に、
ただハートを開いていればいい。

私の意図をしっかりと見つめていればいい。

ハンプティダプティを使いながら、
そんなことを感じます。