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チャクラウォーク:Who am I 〜その②〜

「求められることに応答する」

これは、やっぱり私の中ではずっと続いている「問い」です。

チャクラウォークのとき、朝はPDMをセミナールームで過ごします。

そして少しマイクさんのお話があります。

3日目の朝。

「2012年の12月21日、地球は銀河のあるポイントを通過して、新しいサイクルに入った。
2012年の7月26日から、2013年の7月26日をかけて、新しいサイクルになっていっている」

あなたが呼ばれて来たことに対しての応答として、あなたが選択して来たことがある。
それは、たましいの運命。
たましいの存在が、何かと接触しているとき。
最後の月は、カルマのパターンを解消しようとするときであり、自分の中で隠れているもの(意識の中で)について探求して来たもの。
それ以上のコトが現れてきている。

 

そうマイクさんのお話を聞いた後、

私の中で浮かび上がって来た想い。

 

「求められてることに応答する」とは、ただ言われるがままでいるのではなく

あるヒントやきっかけとなって、
自分自身の中の魂の目的と言われるものに触れたとき、
そのものをどのように選ぶのか?
今までの人生の経験を元に、自分自身の深くに存在していた意識が
応答して、そこに自分自身の選択があるということなのだ!

誰かに「求められても」気になる時と、ならない時があるでしょ?
「そうですか〜?」なんて、さらっと過ぎてしまう時と、
「う〜ん?」と後から何度も気になったり、
「あ!そうだな」と思ったりすること。
そして、それを受け入れるか?
反発するか?
スルーしてしまうか?

それも、自分自身の選択なのですよね。

上手く行かなかったことや
分かってもらえなかったことを
誰かのせいにして、自分を正当化して
「わたしはまちがっていない」と逃げることも自分への責任を持って選択するのであれば
きっと後でも嫌な気持ちは残らないはず。

だけど、、、

モヤモヤと心の中に何かが残るのは、
きっと自分への責任を元にした選択ではなく、
ただただ、
自分のアイデンティティへのこだわりであり
同時に、アイデンティティにこだわるが故にその背後には
恐れがあるとき。

果たして。。。

それは自分に正直なのか?
それは自分を信頼していることなのか?
それは自分を幸せにすることなのか?

 

どんなに困難があることであっても
なんとなく達成感が感じられるとか
ただひたすらに前向きにいられるときは
自分自身の目的に合致していることなのではないか?

と、感じるのです。

 

そこに「応答したこと」というのは、
自分自身の選択であって、
それは自分に取って「必要」と思うことをたましいの深い所で反応した
「自動応答」なのではないか?って思ったのです。

理性や知識で、納得出来る答えではないかもしれないけど

自分自身が求めるものに反応したこと

だと思うのです。

 

なんか、そう思うとね

すごく納得!

 

私の行きて来た人生を振り返って見ても

よく言われる「人生に無駄なことなんてない」って言葉も

その通りだなと思いました!

 

誰かの言葉を借りて、誰かの行動を通して

自分自身が求めていたものがそこに在り、

それに応答していたということなんだろうな〜。

 

人という存在は、いつも何かを気づかせてくれる

それが苦みを伴っていたとしても

それが甘味に思えたとしても

そのあと、どのように歩くのかは、自分自身の歩き方。

色んな役割を演じてくれる人々に出逢えて

そして自分自身の人生の目的に沿った生き方をしていくことは

少しだけ試練があるかもしれないけど

どれも間違っては居なくて

 

どう受け止めるのか?

そしてどうポジティブに解決に向かって行くのか?

誰にでもそのチカラがあるのだと思うのです。

 

マイクさんは、こうも言ってました。

「アイデンティティーは、ポジティブな状況にあると小さくなる。
しかし、ふとしたときにアイデンティティが小さくなっていたことに気がついて、私たちは恐れを作り上げる。恐れが強ければ、そこに自分が在るように感じるからだ」

っというようなことを。。。言ってました。

 

そうだよな〜

アイデンティティって響きがいいけど、それってエゴだったり、それがないと自分の価値を感じられないプライドだったり。。。するもんなぁ〜。

アイデンティティがあろうとなかろうと、
誰かに認めてもらわなくたって
自分自身が自分を受け入れて認めている人って
一番そのひとらしさが見えているものなぁ〜。

私は誰か? Who am I

その答えは、直ぐには見つからないかもしれないけれど

誰もが、「私」を生きている。

自分らしく生きるってことは、自分自身の求めるものに素直に応答して

素直に選択する責任を持てていることなのかと思いました。

仕事や、家庭での役割は、あくまでも「役割」であって

セントジャーメインの言う「自分の人生のステージにいる役者を前に出して、自分の人生の指揮を取ること」ということの深い意味がわかったような気がした。

 

そこに答えがあるのかもしれない。

役割ではなく、存在(ビーイング)なのだ。

 

このあと、歩く歩くチャクラウォークで感じたことを綴って行きますね。

写真は、たくさんあるので、ちょっとずつアップしています!

Facebook BrillianceDrop*gardenにてご覧下さい。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました〜