【人生の答えはいつも私の中にある-アラン・コーエン-】より
※これは、私的記録としてこころに響いた言葉を抜粋しています。
<P.220-221>
自分が裁いてるのかを知る一つの方法は、自分の行動に伴う感情の種類と強さを観察することだ。裁くと感情に乱れを起こす。怒り、衝突、苦悩が起こり、状況を泥沼化する(時折こうしたエネルギーは、表立ってわからないことがある。しかしわずかでも心が乱れたようならば、背後に恐怖感があることは確かだ)。
裁く心から出る行動をとると、居心地の悪い感じがし、しっくりしない感じが残る。後々まで犠牲者意識うあ、苦々しさ、憤りが尾を引く。自分がすでに完全であると感じられず、また相手もそう見えなくなり、何か完結していない感覚に付きまとわれる。
だが、未完結なのは自分の内面なのだ。安らぎの代わりに裁くことを選んでしまったために、いずれは自分が分離の状態に入ってしまった時点まで戻らなくてはならない。戻った時点で別の選択をすれば、初めて調和を持って前進することができる。
一方識別は安らぎの心に由来する。固い決意が芯となり、すべてが良いことを信じて、明確に、静かに進むのだ。何かに対して反応するのではなく、まず行動する。そして役に立ちたいという気持ちに触発されれば、宇宙はあなたを助ける準備をする。
また、あなたは怒ったり謝ったりすることなしに、「ノー」と言えるのだ。なぜなら、自らの道に正直であるなら、神の恵みがあなたや関わっているすべての人を包んでくれることを知っているからだ。
裁く心は、相手の行動よりもその人自身を攻撃する。識別している時には、相手の行動を良しとはしないかもしれないが、その行動の背後にいる人物に敬意を払い、慈悲の心を持つ。「Wake-Up Call(目覚ましんおための電話)」の著者であるエリック・アレンボー博士は、次のようなモットーを使う。
「識別力で行動すれば、安らかな気持ちんいなる。内なる声に注意を払い、あなたの心は自由になる」
裁く心はすべて、最後には識別に取って代わられなくてはいけない。あなたと相手の間にどれほどの分離や闘争が起きようと、それは最終的には解決し癒されなくてはいけない。あなたも宇宙も、あなたが目に映るものの背後にある真実を見、それにのっとって行動するまで、休むことはない。
愛には愛の道があるのだ。